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猫とプロレス

G.Wである。
会社としては9連休だけど、途中で2日ほど出なければいけない用事があるので、
長期の旅行などには行けない。

思えば、ここの所、帰るのが遅くなることが度々あり、レオとあまり遊べなかった。
疲れて、トボトボと晩飯を食べていると、背後からジンジン熱い視線を浴びることになる。


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この顔で見つめられると、遊べないよ宣言をするのが本当にツラい。
でも、もっとツラいのは、遊べなくても決して不貞腐れることのない、ききわけのよさである。
性格のいい仔で、本当に良かった。

しかし、である。
こういうききわけのよさに甘えてばかりいると、そのうちに痛い目に会う、というのは
世の男子なら誰でも身に覚えのあることである。
だから、このままではいけないのである。

そこで、今日は午前中から、レオとたくさん遊ぶことにした。

おもちゃで遊ぶのも好きだが、レオが本当に好きなのは、プロレスだ。
男の子らしくて、大いに結構だ。
手にはめるぬいぐるみもうちには当然あるのだが、紛い物ではレオはすぐに
飽きてしまうので、いつも素手で勝負する。 

リビングに立っていると、レオはスリスリするために寄ってくる。 その瞬間に両脇腹を
ガシッと掴むと驚いて床に倒れこんで、口を大きく開けながら両手で俺の手を掴みかかる。
これが、開始の合図である。 

モハメド・アリと闘った時のアントニオ猪木のように(古いな・・・)、床に寝転んで
両手と口を大きく開けながら俺の手が襲い掛かるのを待ち受ける。 
俺は手のひらを大きく拡げてレオの身体の上に翳し、掴みかかる隙を窺う。 

電光石火のごとくレオの腹めがけて掴みかかると、両手で俺の手首を捕まえて、
手のひらをガブリと噛り付いてきて、両後ろ足でケリケリッ、とされる。 
甘噛みのつもりでかぶりついてくるのだが、彼は昂奮しているのでこれが結構痛い。
手首にも両手の爪がガッシリ食い込んでいて、これも相当痛い。 
爪を切るのを忘れていたりすると、当然悲劇が待っている。

寝転び作戦に飽きると、やおら起き上がって、イカ耳で上目使いで手のひらの動きを追い、
黒目全開で跳びかかってくる。 こうなると、もう止まらない。 
どちらかが息が切れるまで闘いは続くのである。

でも、レオには弱点がある。 尻尾の付け根のお尻の部分を上からガシッと掴んでやると、
レオはイヤ~ン、と言ってすぐに床に転がってしまう。
その転がり方は、とてもかわいい。 

猫は、瞬発力はあるけど持久力がない。 イヤ~ン、と何度か転がったら、そのまま
毛づくろいをンベンベと始める。 これが、終わりの合図である。

これを何セットかやった。 すると、さすがに満足そうに昼寝を愉しんでいる。

大事なのは、こちらが本気で遊ぶ、ということだ。
こちらが集中できないと、例えおもちゃを振ってやっても気が入っていない振り方になるし、
レオにもすぐそれが伝わって、遊ぶのを止めてしまう。
俺が楽しくない時は、レオも楽しくないんだね。
だがら、そういう時には無理して遊ばない。 無理する必要なんかないのだ。
きっと、人間同士の付き合い方にも同じことが言えるんだろう。

正直に生きるこの仔は、いろんなことを教えてくれるなあ、と思う。

ありがとう。 ゆっくりお休み。


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                           【 ZZZ・・・・ 】


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猫の世界地図

小腹が空いたのでパンをかじっていたら用事を思い出したので、食べかけのパンを
台所の棚に置いて別の部屋に行った。 
そして、用事を済ませて台所に戻ると、パンが床に落ちていた。

天井まであるラックの、ちょうど顔の高さにある棚に、ちょっと置いただけのパン。
棚に登りたがるので、所々に彼専用のスペースを空けてあるから、きっとそこに登って
触っていたのだろう。

レオは、家の中のことは何だって知っている。
どこに何があって、どんな色や形で、どんな匂いなのか。

だから、いつもと違うことは確かめずにはいられない。
さっきまでなかったパンが突然棚の上に現れたとなると、これはもう、一大事である。

彼にとって、この家と窓から見える風景が、彼の世界の全てだ。

狭くて小さい家で申し訳ないと思うが、この家に来る前にいたケージやショーケースの
世界と比べれば幾許かはマシだろう、と自分を慰める。 
それは小さな小さな世界地図かもしれないが、誰にも邪魔されることのない、
彼だけの世界地図。

ここにあるものは、全て彼のものだ。 
古い真空管アンプも、ターンテーブルの上で回るモーツァルトのクラリネット五重奏曲の
古いレコードも。

もっとも、揺蕩うレオポルト・ウラッハのクラリネットの郷愁的な音色よりも、回転する
レコードのほうがおもしろくて、プレーヤーのカヴァーの上でくるくる追いかけて踊っている。

(※音楽が鳴っていますので、音量にご注意下さい。)
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世界は、彼に何を語りかけるのだろうか。 

やさしい音、いつもの匂い、そして静かな時間、そういうものであって欲しい。

ここは僕の家。 この家が大好き。 
そう思ってくれていると、いいんだけどなと思う。




シンクロニシティー

昨日の午後、急に高熱が出た。
しんどい、フラフラする、腰や節々が痛い、と思ったらどんどん熱が上がっていった。
夜になると、39度4分まで上がった。

熱というのは出始めが一番つらくて、37度を過ぎたあたりがしんどさのピークだ。
もう、何もかもがイヤになる。 じっとしているが耐えられなくて、でも、しんどくて
身体を動かすこともできない。

頭も割れるように痛く、たまらずベッドに倒れこんだ。
すると、レオがやってきて、こちらをじっと見つめている。
ごめんよ、今日は具合が悪いんだ、そう言うと、レオは静かに寝室から出て行った。

しんどくてすぐに目が覚める。 何度もそれを繰り返して、レオの晩ごはんを作るために
なんとか起き上がると、寝室の入り口でじっと寝ていたレオは俺のところにやってきた。
何か言いたげにこちらを見ているので声を掛けようと思ったが、喋るのもつらくて、
何も言えなかった。

何度も何度も目が覚め、長い夜が明けた。 今朝は気分が良かった。
でも身体は相変わらず動かすのが大儀だった。 熱を測ると、37度3分。 もう少しだ。

起き上がると、レオがおはようの挨拶をしにやってきた。 

おはよう。 少し、元気になったよ。 そう言って、撫でてやる。

朝ごはんの準備を始めると、嬉しそうに尻尾をブルブルと震わせた。
テーブルに置くと、ムシャムシャと食べだした。 よかった。

そう思ってコーヒーを淹れて煙草を吸っていると、ケホッという声がした。
案の定、廊下に食べたばかりのご飯を戻してしまっていた。
この間戻したのは俺が同窓会に行って泥酔した時だったから、5か月ぶりだ。

レオは基本的に吐かない仔だが、俺の体調が悪いと、こうやって食事を戻してしまう。
かわいそうに、同居人の体調に影響を受けてしまうのだ。
だから、家にいる時はそういう姿を見せないようにしようと心がけているんだけど、
さすがに昨夜はそんな芝居も打てなかった。

この仔がいつだって元気でいられるよう、俺もいつも元気でいたいと思う。
食事に気を付けて、運動するよう心がけよう。
好きな音楽を聴いて、好きな本を読み、好きな映画を観て、友達とバカ話をしよう。

そして、元気に帰って来て、この仔とたくさん遊ぶのだ。
そういう平凡な毎日が送れたら、嬉しいな。


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                      【 早く元気になるからな 】

猫が人と暮らすということ

人と猫は、一体、何に導かれて出会うのだろう。


猫は人を選べない。 一方、人は猫を自由に選べる。 
こういう考え方が1つ。

人は猫を選べるはずだが、それはつまり、その猫以外は選ぶことができなかったということ。
だから、厳密には、自由に選べるのではない。
こういう考え方が1つ。

猫は、実は、人を選んでいる。 人は選んだつもりになっているが、
本当は人を選んだ猫がその人の前に現れただけ。
こういう考え方が1つ。

出会いは運命であり、選べる・選べないの問題ではない。
こういう考え方もある。

猫と暮らしていると、大抵の人はこう考えるようになる。

もう一頭、迎えたいな。
これは、猫が大好きだからもっとたくさん欲しい、ということだ。

一頭だけでは寂しくないのかな。
生涯独身を通したブラームスは、晩年にうまいことを言っている。
「私の人生は自由だが孤独だ。」

人と猫の出会い方には、選ぶ・選べないの考え方がいろいろあり得ると思うが、
一頭と暮らすか、多頭と暮らすか、は間違いなく人の選択の範疇の問題だ。
だから、それによってもたらされる結果について、猫には何の責任もない。

選ぶ場合、どちらの選択が正しい・間違っている、ということではないだろう。
選んだ結果もたらされる全てのことについて人が責任を負う、というのが正しくて、
責任を負わない、ということが間違っていることなのだ。

ただ、1つだけはっきりしていることがある。
それは、猫は人と暮らして初めて幸せになる、ということだ。
路上やケージやショーケースの中で一人寂しく生きている仔が少しでも減ってくれたら、
どんなにいいだろう。
だから、人が猫をたくさん迎えられるのなら、それに越したことはないと思う。

でも、それでも、うちはなぜ多頭飼いをしないのか。
災害発生時に多頭飼いでは対応できないと以前書いたが、それは本当の理由ではない。

本当の理由、それは、この仔があまりに自分に近い存在になってしまったからだと思う。

もはや、ペットという存在でも、猫という存在でもなくなっている。
おかげで、猫と暮らしたい、という気持ちすらどこかへ行ってしまった。
だから、新たに別の猫を迎えたいとは思わなくなってしまったのだろう。

一頭だけでは寂しくないのかな、というのは人間らしい話のすり替えで、
単に自分が一頭では物足りなくなっている、ということなんだろうと思う。

レオは寂しくなんかないと思う。 
俺がいつもそばにいるからだ。



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                   【 何をつべこべ言ってんだか ZZZ・・・ 】


大好きな天気予報

残業せずに早く帰った時にだけしてやれる、特別なことがある。
それは、18時52分から始まるNHKの天気予報をレオに見せてやることだ。

彼は、この番組で気象予報士が手に持って画面を指す黄色い棒が大好きだ。
この棒は、先端にドラえもんの手みたいな、丸いぼんぼりがついているのだが、
どうもこれがたまらないらしい。

予報士がこの棒を使って天気の解説をし出すと、棒の先を追って後ろ足で立ち上がり、
TV画面を両手でバンバンと叩きだす。 棒の動きが止まると、シッポをブンブン振って
再び動き出すのを待ちながら、じーっと予報士の手元を見つめている。

天気予報が終わって19時のニュースが始まると、ニャーン、と鳴いて、俺のところに
帰ってくる。 そして、脚にスリスリして、ラグマットの上に寝転んで毛づくろいをする。

黄色い猫じゃらしは当然うちにもあって、同じように動かしてやるのだが、
どうも何かが違うらしく、天気予報の棒のようには追いかけてくれない。

番組に間に合うように急いで帰って来て、TVをつけてチャンネルを合わせると、
「ウニャッ」と一叫びして走りだして、TV台に飛び乗るのだ。
なぜか、この番組にだけこんなことをする。 天気予報は他にもあるのに。

俺としては、どちらかと言えばその後のニュースの方を熱心に観てもらえたらと思う。
そうすれば、稀代の学者ネコとして大々的に売り出すこともできるのに、と思うのだが、
そこは深窓の箱入り息子、浮世の世事など興味はないらしい。

先週の記事ではもっと早く帰る、と言ったけど、早く帰れたのは結局1日だけだった。
でも、もうそれも終わりだ。

明日からは、もっとたくさん観れるようになるだろう。


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                          【 まだかなあ~ 】

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プロフィール

リアノン

Author:リアノン
独身男の一人暮らし。

猫と暮らしたくて、一人で寂しい思いをしている子を、と思い里親募集に申し込んだら、一方的に断られた。

一人暮らしの男に猫と暮らす資格はあるのか? 

これが、このブログのテーマです。

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